堅田の蓮如忌、散歩じうむ

 わたしの暮らす堅田といえば、蓮如さん。もちろん、一休さんでおなじみの一休宗純も12年間、修行していたまちですが、本日は、蓮如忌。町中に蓮如忌ののぼりがたっていました。そして、まちづくり活動団体・湖族の郷実行委員会が主催する“散歩じうむ”ことまち歩きツアーも行われました。

 本日は天気もよく、琵琶湖岸からは、普段はほとんど見えぬ伊吹山も、雪のかかったその姿を見ることができました。滋賀県に住んでいながら、日常生活の中では琵琶湖の風景を眺めることはあまりなく、新鮮な体験をすることができたように思います。

 細川源太郎さんはじめ湖族の郷実行委員会のメンバーの方々が、いろんなエピソードを交えて、堅田の歴史を話してくださいました。私が印象深かったのは、おとせの浜でした。
 大河ドラマでおなじみの時代ですが、堅田の出身で源氏の屋敷に奉公していた「おとせ」という女性が合戦のとき、源氏の旗印の白旗を守って琵琶湖に飛び込み追手から逃れようとしました。しかし不運にも捕まって、腕を切り落とされて息絶えました。その腕は白旗を握ったまま、堅田まで流れ、誰が白旗を取ろうとしても、決して離さなかったそうです。結局、おとせの子が白旗をつかむと指を開いたのでした。以来この浜はおとせの浜と呼ばれるようになったそうです。今ここには、おとせの石という碑が立っているのですが、この石は雨が降ったり水にぬれると赤くなるそうで、おとせの血が流れているといわれています。

 細川さんによると、昔は、この石が琵琶湖につかっていたそうで、これを祀るようになったのは近年のことのようです。一見何気なく見えるものにも、実に深い物語が宿っているのですね。

 お昼は本福寺蓮如粥をいただきました。本福寺幼稚園が併設されていることもあるからでしょうか、小さい子どもとそのご両親、祖父母と思しき方たちも、たくさんおられました。堅田には宗派を問わずお寺がたくさんあり、またヴォーリズの建てた堅田教会もあります。かつて戦乱の世にたくさんの血が流れたであろうこのまちに、いくつもの祈りの空間、コミュニティが存在するのは必然なのかもしれません。そして、この日は、東日本大震災1周忌。今年こそは平和な1年になりますようにと祈りを捧げた1日でした。