校正しながら夢は膨らむ

 先日、8月のお盆に出る共著の著者校正を終えました。期限は5月末ですが、駆け出し修行僧の私はかなり早く出さなくてはいけません。拙文が活字になることの機縁を与えてくださったのは恩師のI先生。やはりI先生のお世話になり、これまでにも共著で二冊出していますが、今回は東京の、地理学を専門としている出版社からです。

 観光地理学というジャンルもあるくらいで、地理学と観光学は密接に関連しているのですが、今回の本では地理学を全面に出しているわけではありません。ですから出版社(編集者)にとって納得のいく内容に仕上がっているかは微妙な点ですが、少なくとも観光本の類書には見られない、異彩を放つ内容にはなっているはずです。

 さて、その内容はしばらくお待ちいただきたいのですが、今回も多くの人びとに取材などでお世話になりました。すでに何人かの皆さんには、ドラフトをお送りし内容をチェックしていただきました。すると、小生の誤認や表現の不適格な部分など改善すべき点が出てきました。非礼をお詫びするとともに、内容をより良いものに出来たことをここに改めて感謝申し上げるしだいです。

 当然のことではありますが、本作りは一人の、あるいは単に著者の創造性だけに依拠した作業では決してありません。上に述べた取材でお世話になった人びとや編集者(出版社)、印刷所、そして書店、紹介者(編著者)など、実に多くの人びととの協働作業だからです。もちろん、それぞれの原稿の責任はそれぞれの著者にありますが、自分ひとりの実力とか技術とか運で出来るものではありません。今回、このことを強く感じました。

 また、もうひとつ思ったのは、共著者の多くの方々の原稿をチェックさせていただく中で、ただ伝えたいことを書くだけでなく、どうしたら伝わるのかという視点が見えてきたことです。まだまだ文章修行も足りないことは自分自身が一番自覚しているのですが、これは大きな気づきでした。たとえば、宮本常一の著作に引き込まれるひとつの要因は、彼が現場の人びと、自分が出会った等身大の○○さんに向けて届く言葉を選び、分かってもらえるように構成、表現する才能があったからではないでしょうか。

 若者や初学者が宮本常一を読むと、一瞬真似できるような気になるのですが、実際にその道に足を踏み出すと、いかに宮本が優秀な書き手で偉大な学者であったのか、翻って自分の能力のなさ、経験のなさ、そして勉強不足に絶望的な気分にもなります。しかし一方で、さまざまな人びとにご縁をいただいて原稿を書けることに感謝し、そうしたすべての人びとを代表するような気持ちで、筆をとり赤を入れています。メタの次元でコミュニケーションできる文体が理想でしょうか。自分なりにいろいろ仕掛けも考えています。あまり技巧的になるのも良くないですが。

 ところで、宮本常一の著作集は50巻を超え、おそらく100巻くらいは出るだろうとも言われています。数が多ければいいというわけではないでしょうが、継続することは素晴らしいことです。そもそも私は熱しやすく冷めやすい性格で、何事も中途半端というのが、コンプレックスでした(剣道、絵画、書道、器械体操、ピアノ、ダンス、バンド……)。執筆くらいは、コツコツ続けていきたいと念じています。

 生きるうえで、カタチになる何かを残すことに必ずしも意義があるとは思いませんが、それでも書くことは、私の生きがいにはなっています。アイデアだけはいっぱいあります。いわゆる学位論文の構想も持っています。それはともかく、次の目標は、単著。つまりひとりで自分の本を書くことです。今度の本が出版されると、20代から30歳にかけて共著で“観光三部作”が出たことになりますので、私の単著デビュー作は20代の観光論の総決算としてまとめたいと思います。ただし、そんな青臭い本を出していただける版元があれば、の話ですが。