私たちの底力!

 「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」。

 宮澤賢治の生前に唯一刊行された童話集『注文の多い料理店』の序に記された言葉です。原発事故後のいま改めて読むと、ある種のリアリティをもって迫ってくるように思います。自然というものに対する畏怖と畏敬の念を喪失して久しい私たちは、まるでしっぺ返しをくらったかのように、目に見えない放射能にうろたえているのではないでしょうか。

 政府も電力会社も、学者もマスメディアも、ほとんど信頼を失ったように見えます。ただ、忘れてならないのは、そのような社会を構成しているのは、ほかでもない私たち自身ということです。ポジティヴな意味での批判は必要ですが、感情的なそれは慎むべきだと思っています。まず私たちがなすべきは、身の丈の範囲でできることから改めていくことでしょう。

 では、なにをどう改めるのか。この点で、手がかりになるのは、やはり賢治ではないでしょうか。たとえば彼の生前には発表されなかったものの、「農民芸術概論綱要」はその手掛かりになるように思います。

 「近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい」
 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
 
 科学と宗教と芸術の統合したヴィジョンとは、現在の事実を前にすれば楽観的すぎるようにも思えるかもしれませんが、人類が生き延びていくためには避けて通れない課題でしょう。個人消費の欲望充足から、公共哲学の構想へと私たちは進化しなければならない。と書きながらも、行うのは難しいテーマであると思う自分も否定できないのですが…。

 さて、そんなことを思っていたとき、宗教学者の町田宗鳳先生からお葉書が届きました。町田先生の小説『法然の涙』を読んだ感銘をお伝えしようと不遜にも筆をとり、お手紙を送っていたのです。しかし忙しい先生が、わざわざお返事をくださるとは、本当にありがたいことです。また「風の集い」でお会いできればうれしいです。そして、今月20日にご高著『ニッポンの底力』も出るということ。今回の大震災を受けての緊急出版だそうです。どうやら私たち日本人、ぼうーとしている暇はないようですね。顔をあげて、私もがんばらねば!