賢治さんの命日

  私が共著者として参加した『観光文化と地元学』(古今書院、2011年)は、思い出深い仕事になりました。というのも、執筆の過程で不思議な体験をしたからです。そもそもこの本は、当初もっと早い出版予定だったのです。が、いろいろな事情が重なって、その間に震災も起きました。不思議なことはその後です。つまり、震災を経てコンテクストが変わったことで、文章に新たな意味なりメッセージ性が付与されたのではないかということです。それは自分でもまったく予測できないことでした、正直…。手前味噌な物言いではありますが、それが率直な思いです。

  執筆中になぜか東北を旅したくなり、ちょうど昨秋29歳にして初めて仙台→遠野→花巻と巡りました(高速バスで少し福島にも立ち寄りました)。柳田國男の『遠野物語』刊行100周年で沸く遠野を歩き、当地の観光文化政策を学びたいというのが、一応の思いだったのですが、なぜか取材のアポイントを取ることもなく(単に怠けているだけという説もあるが…)、ぶらりと一人旅をしてしまったのが正直なところです。もちろん、仙台は地元学の拠点の一つでもあります。また、今回の震災で内陸部にあたる遠野市は後方支援の一大拠点として機能していることは、周知のとおりです。文化人類学者の故・米山俊直氏は『小盆地宇宙と日本文化』(岩波書店、1989年)という著書を残しておられますが、地域の経済と文化が調和、循環しうる多極分散型の社会のありようを考える上で、たいへん示唆深い知見が詰まっています。ポスト3.11の地域社会のありようを遠野は、現在の事実として教えてくれているのかもしれません。

  さて、このあたりで少しくらいは旅の談義を。花巻では宮澤賢治をテーマにした、まちづくり観光の息吹を体感しました。宮澤賢治記念館を訪れるとその周りに広がる森の静謐さ、秋の陽の光が反射する一瞬に見せてくれる、その凛とした佇まいに自然に涙が出るほどでした…。風土、あるいは風光というものを通して、すっかり賢治さんと対話している気になりました(上記の本の中でも賢治を取り上げていますが、それはすでに脱稿していたのですが…)。館内のカフェでお茶しながら、静かにその余韻を反芻していました。一人だったのがちょっと寂しかったかな(ぐすん)。ここには賢治さんが愛用していた、本物のチェロがガラスケースに展示されています。レプリカを展示して本物は収蔵庫に保管するなどの方法も検討されたようですが、楽器は時々使った方が長持ちするそうです。いつか生の音色を聴いてみたいものです。

  あっ、そういえば、9月21日は賢治さんの命日でした!東日本大震災後、賢治の思想が脚光を浴びていますが、彼のすごいところは、生活のなかに思想を体現していたところではないでしょうか。童話もすばらしい、「農民芸術概論」のような文章も書く、音楽も創り、演劇もする、農業指導もすれば、地域振興のアイデアも出す…これすべて一人の人間がやってのけるのです。生前に刊行された作品は『春と修羅』『注文の多い料理店』のみ。37歳で没。にもかかわらず、まさにいま、賢治は生きているのです。

  魂は生き続けるのですね。