うるおいのある街

  民俗学者宮本常一は生前、しばしば“周防大島の百姓”と名乗ったというが、青春時代を大阪で過ごしている。そんな経歴もあってのことであろう、都市民俗学の先駆的業績を残していることはよく知られている。余談になるが、宮本は映画を観たり街をランブリングしたりするのが好きだったという。そんな都市を愉しんだモダンボーイ宮本は、しかし後年、こんな言葉を残している。

  都市の生活に合理性は何よりも大切であるが、そのことによって町はうるおいのないものになってしまった…(略)…そして町は商業をいとなみ事務をとるだけの場所になり、そこに働く人びとは郊外に塒を求めるようになっていくのであろう(『空からの民俗学』)。

  中心市街地の空洞化が問題になって久しいが、その活性化を考えるにあたって街の「うるおい」に注目したものは、必ずしも多くはないように思う。「うるおいのない」都市の生活、あるいはコンクリートジャングルと化した、便利ではあるが、同時に殺伐とした都市空間で最も損害を被るのは子どもたちであろう…。

  前置きはこれぐらいにして、10月15日・16日に行われた大津ジャズフェスティバルについて少し報告したい。大津は言わずとも知れた滋賀県の県庁所在地であり、その琵琶湖を臨む中心市街地一帯で実施された市民による手作りイベントである。音楽を通してまちを元気にしようというこのイベントも、今年で3回目を迎えたのであった。今年初の試みのひとつに、子ども関連のNPO団体などとの協働企画があり、縁あって私も駆けつけた。名付けて「こども広場」。子ども向けのステージや昔遊びのコーナーが、琵琶湖を一望できる大型商業施設のイベントスペースに設けられた。意外性のあるイベントだったのではないだろうか。

  商品の消費を促すサービス空間の一角に突如登場した、この手作り感あふれる広場では、子どもと大人がいっしょになってスローな玩具で遊び、ジャズの演奏をバックにした郷土の絵本の読み聞かせをはじめローカルカラー鮮やかな芸術作品を堪能した。遊び方を教えてくれる“先達”もおられたためか、中高生を含む多くの子どもたちが立ち止まって、剣玉や駒回しを楽しんでいたのも印象的であった。

  私が意外性を愉しんだものをもうひとつ書こう。木下洸希くんのジャグリングである。洸希くんは大津市民初の大津市と光ルくんをPRする「おおつ光ルくんPR大使でもある。10歳の時に、ジャグリングを見て感動。以来、練習に励み、老人ホームや福祉施設やイベントなどで技を披露してきたという現在、中学1年生。この日も華麗な姿、見事な技を見せてくれたことは言うまでもない。本当にたくさんの笑顔の花が咲いた。子どもを中心とした観客に体験してもらうコーナーもあり、充実したステージだった。ショーが終わった後の姿はやはり少年らしいのだが、本当に心の底からジャグリングが好きで、大事な人たちを楽しませようとする心意気に、エンターテイメントの原点を教えていただいたような気がする。何よりも、生きる喜びが伝わってきたのである。

  「この国には何でもある。…(略)…だが、希望だけがない」(村上龍希望の国エクソダス』)と小説の中の中学生は語っていたが、現実の中学生は希望というものを、たしかに持っていたのである。湧き出る情熱を、使命として受け止め、夢を実現すること。そのためには、私たちの生活や都市を、機能性や利便性だけでなく、子ども大人も精神的に成長していけるような芸術性の観点から再構築していくことが求められるだろう。そこは、まだ見ぬ世界であり不安もあるが、しかしさわやかな風が吹き抜ける新世界である。

  うるおいのある街とは、様々な苦悩を抱えながらも、ひとり一人が生きる喜びを実感できる笑顔の場所なのだと思う。